【期待⇔応合】、【ありがとう】と言葉が大好き!お互い『いい男』&『いい女』を目指してる姉弟です。日常生活の出来事を書いちゃいます!よろしくね~☆  (弟は休止中。。。)


by saito-kyoudai
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社会人になったから・・・

 大学を卒業した友達は、社会人になった。
友達の話を聞くと「大学生の時は“早く社会人になりてぇ~。”と、ちょっと憧れを持っていたが、現実になると(今になって)、“ここで働けるかな?”と不安ありつつ働いてる。」と言っていた。

私は、高校卒業して地元を離れ、社会人として働いている。

 最初は誰でも不安はあると思う。 私の場合は資格もなかったのに福祉関係の仕事をしてたから、「よし!資格を取ろう!!」と目標を立ててた。

んで、私は友達にるいネット次代を読むをオススメしてみました。


 
 人々は、これまで人生の節目ごとに(まるで一大事業であるかの如くに)「学校に入り」「企業に入り」「家庭に入る」のだと認識させられてきた。しかし、我々はそれらの「集団」に、本当に入ったのだろうか?それは、形だけ、上辺だけのことではないだろうか。本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出ていったのではないだろうか。

 学校であれ、企業であれ、家庭であれ、「集団」に入れば、必ずその「集団」から身分(資格や肩書き)の獲得や利益の獲得という私権課題が強制的に与えられる。従って、子供や若者は自我・私権の主体となるしかない。社会が私権の獲得という目標に収束できていた時は、それでもまだ良かった。しかし、今や私権圧力は衰弱するばかりなので、何をしてももう一つ燃焼できないし、いつも何か物足りない。

 だが、「集団」に入ったのではなく、本当は社会に出たのだと考えれば、全く別の世界が見えてくる。本当は社会に出た(=社会の当事者になりたい)のだとすれば、「集団」を超えた人(みんな)収束の潮流や、『みんなの期待』に応えたいというやりがい志向が、私権の衰弱と同時に生起したのは当然のことであり、それは人々が社会の当事者になろうとする可能性の発現だったということになる。

【本当は、集団に入ったのではなく、社会に出たのだ】から引用。

社会人になれたんだから『みんなの期待』に応えていけば、役立つ仕事が出来るし、仲間も増え仕事も楽しくなるんじゃないかな~・・・。

私は、そう思いました。
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by saito-kyoudai | 2007-04-26 01:09 | 伝えたい・・・